「日本教育技術学会」創立への呼びかけ


 新しい学会、「日本教育技術学会」を創ろう。

 下記の趣旨による。

 教育内容・教育方法の研究は、教育現場の実践を批判・修正し、新たな実践を創り出すのに寄与するようなものであるべきである。つまり、現実の実践に対して責任を負うべきものである。また、研究は実践を導くとともに、実践によってためされ、批判・修正されるべきものである。

 研究と実践とがこのように相互に鍛えあうきびしい関係が必要である。いいかえれば、研究と実践の間に精神の活発な往復運動が持続しているべきである。

 研究・実践のこのような相互関係が欠けたところでは、研究も実践も堕落する。研究は内容空疎な虚飾にすぎなくなり、実践は方向の意識無き泥酔の状態になる。

 従来の学界における教育内容・教育方法の研究はどうであったか。

 右のような実践との緊張関係の自覚が甚だ微弱であった。その研究が、どこで、どのように実践と関わるのかが全く不明な研究が圧倒的に多かった。歴史と海外事情の紹介的「研究」が不当に肥大していた。それが現在の日本の教育実践にとって何を意味するのかは、ほとんど述べられていない。これは過去と海外への逃避である。また、今までの研究の多くは、粗大・散漫な一般論にすぎない。その研究のどの部分が新発見・新発明なのかが全く見えないのである。その言葉が何を意味し、実践のどの部分をどう変えることを要求しているのかが全く不明なのである。意味不明で粗雑な言葉である。また、感情に訴える効果に依存する政治的・スローガン的言葉である。このような言葉が、とめどなく産出されてきたのである。ここには、研究によって実践を作り変えようとする気迫は無い。

 この随想的・スローガン的「研究」があふれている現状を打破すべきである。

 実践に対して責任を持たなければ、教育内容・教育方法の研究は出来ない。実践と研究との相互批判・相互修正というあり方こそが《技術》である。実践の形にまで具体化された理論、理論に支えられた実践、それが《技術》である。

 このことを自覚すれば、「日本教育技術学会」という存在の必要が意識されるのは、全く自然なことである。

 出来るだけ、教育現場の実践との関わりを明らかにし教育実践を作り変えるような研究をしよう。

 また、出来るだけ、明確で具体的な言葉による研究をしよう。

 上の二つは、実は一つのことである。一つの原理の両面なのである。

 今まで、このような原理を明確に自覚した学会活動というものは、どこにも無かった。

 「日本教育技術学会」が必要である。

 

   1987年11月5日 宇佐美 寛